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<30>水車小屋跡探索 2012,08,23

8月の暑い日に高松から伝法川水系に59基あった水車の跡を調べに来た人に同行しました。 そのときの様子を紹介します。
最初に肥土山農村歌舞伎舞台の少し上流に水車が残っていたという情報を元に行きましたが発見できませんでした。 でも近所の人に話から2年前まで残っていたが譲って欲しいという人がいて持ち帰ったそうです。
水車小屋の跡
中央の茂みあたりに水車小屋があったらしいです。
石臼
石臼が2個ほど残されていました。

みこ水車
肥土山から殿川の上流へ行った山中にあります。以前は竹藪の中に道から見えてましたが、 2年前の芸術祭の準備で竹を切ったため草木に覆われてわからなくなっていました。 地元の人の話で「みこ水車」と呼ばれていた水車だとわかりました。
薮の伐採
水車跡を覆っていた草木をみんなで取り除きました。
みこ水車
現れた「みこ水車」。水車の両側には軸受けなどの柱も出てきました。
水路の石垣
水車周囲の石垣は健在でした。
水の出口
底には水の流れ出る出口もありました。

ぬしゃ水車
民家の敷地内に残る水車跡にも案内していただきました。 こちらも草木で覆われていたので皆で協力して撤去しました。 こちらは「ぬしゃ水車」と呼ばれていた水車だそうです。 「讃岐の水車」(峠の会編著)には直径3.9m、水路長200mで昭和35年頃まで使用されたと書いてありました。
るしゃ水車
これまでの水車よりきれいに残っています。
横から
「讃岐の水車」に載っている写真とほぼ同じ方向から撮影。
石垣
この奥から川へ出る水路がありました。
水路跡
人が立つあたりが上流から水を引いてきた水路跡です。
水天宮
1858年(安政6年)、水車仲間が水天宮を建立したそうです。1917年(大正6年)に社殿を建てたときの記念碑に二十数人の水車関係者の名前が刻まれています。

以前、水車は水路跡が一ヶ所残っているだけで本体はもう残ってないと聞いたことがあるのでこうして見られたことはうれしかったです。 案内してくださった香川県埋蔵文化財センターの乗松氏や協力者に感謝いたします。 また小豆島の水車についての詳しい記事は雑誌「せとうち暮らし」9号に載るそうです。




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